「時代の証言者」になったつもりで、30年さかのぼる、1991年1月の報告をしましょう。
1月12日の朝、43歳の働き盛りの営業課長代理が10日間の英国、シンガポールへ海外出張に飛び立ちました。ガスタービンの技術提携の調査と下交渉のためで、ロンドンのキングスクロス駅からインターシティー(英国の新幹線と言ってたが)という高速のジーゼル特急に乗り、リンカーンに向かい、その後グラスゴーに移動した。ポートダンダスデスティラリーという名のウイスキーの蒸留所を見学した。蒸留所の所長はスコットランド語(同行したイングランド人でも半分しか理解できない)で、稼働中ガスタービンの事故部品のクレームをまくしたてた。見学もそっちのけで、期待していたウイスキーの試飲どころではない。この蒸留所は180年前にできた老舗で、シングルモルトを製造し、これを我々がよく知る、ジョニーウオーカーやシーバスリーガルといったブレンドウイスキー各社へ供給していた。喜んで飲んでいるブレンドウイスキーのほとんどは、ポートダンダス蒸留所の製品なのだ。
1月17日ロンドンのホテルに着くと、日本からFAXが届いていた。「直ちに帰国せよ」との命令。英国内でも騎馬警官が市内にでて、警戒をしているニュースが日本にも報道されていたからである。空港内の広い通路を通る時にも、「真ん中を通れ」と指示された。端を歩くとごみ箱に爆弾を仕掛けられるリスクがあるからである。前年8月に始まった湾岸戦争は承知していたが、この日連合軍がイラクを空爆したのである。クウェートにイラクが侵入したが、これに対抗して、USA、UAE、UK、フランスなど14か国が戦闘支援していた。(後日談だが日本は米軍への海部さんからの資金援助のみであったために、戦後クウェートから、感謝状は届かなかった。)この報復のためのテロ攻撃を恐れていたのである。米軍のパトリオットミサイルとイラク軍のスカッドミサイル(ロシア製)が空中戦をやっているのをロンドンでもテレビで見た。帰国できる直行便を探したが、見つからなかった。社長命令に反して、予定通りシンガポール経由で帰国することにした。覚悟を決めてシンガポール行きに搭乗した。ロンドンからシンガポールに向かう最短飛行ルート上に今回の戦場がある。ミサイルが飛び交っている。離陸後まもなく、機長の放送があった。「ドッグレッグして戦場を避けて飛行するので安心してお休みください。ただしフライト時間は1時間ほど遅延します。」数時間のちに戦場の上であるが、ひょっとしたらとのぞいたが、なんの光線もなくそこは漆黒であった。機内サービスのシーバスリーガルをロックで無理やり飲んで、すぐに熟睡した。
目覚めると、シンガポールのチャンギ空港に着陸。時計を見ると当初のフライトスケジュール通りで、全く遅れていない。なぜか。本当に戦地を避けて、ドッグレッグしたのか。結論は、ジェット機の飛行高度とミサイルの飛行高度は全く重ならない。それなら余分のジェット燃料が必要なドッグレッグコースをとるわけがない。乗客を安心させるための方便なのか。機長=エアラインはリスクがなければベネフィットしかとらないのである。
遠藤憲雄(JRMN会員)