「老いの未来」と「若さの将来」

 5年ほど前、2016年の秋に大阪大学で公開講座〈「老いの未来」と「若さの将来」〉という連続講座(それぞれ7回の講義)が開かれた。
 老いの時代に入っている自分(その当時、古稀を過ぎて1年)から見て講義の中身と同時に、「未来」と「将来」という言葉の使い方の違いにも興味をひかれた。
 この言葉の使い方の違いについての説明は講座の案内チラシには載っていなかったが、この講座を企画した人のネーミングセンスが素晴らしいと思った。
 英語では〈future〉という一つの言葉しかなさそうで、英英辞典の説明は「(the)time to come 」となっている。
 広辞苑で引くと、「未来」は「将来」より広いパースペクテイブを持つものという説明になっている。
 「過去・現在・未来」とは言っても「「過去・現在・将来」とはあまり聞き慣れない。英語では「past / present / future 」と表現される。
 高校で習った漢文の知識がある人なら、「未来」は、〈未だ来たらず〉であり、「将来」は〈将に来たらんとす〉であることに気が付かれるだろう。〈将に〉という言葉の語感からは〈すぐの近さ〉が感じられ、漢字の意味からは「未来永劫」という四字熟語があるように、「未来」の方が長い時間幅を持ち、「将来」は「現在」に続く「未来」の手前の部分を示していると考えると自然かもしれない。
 「未来」も「将来」も共に「明るい」と「暗い」という両方の修飾語が付き得るけれど、個人的には「老い」に関心がある立場からは「未来」のほうが老い先の短さを意識させず、またなんとなく明るい雰囲気を与えてくれるように感じる。  

宮崎隆介(JRMN会員)