太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(兵庫県姫路市手柄山)
年明けに大学の同窓会で上京した折、いつものように上野公園を訪れ、美術展を見学し、公園を散策した。そこで「時忘れじの塔」という慰霊碑に出会った。関東大震災と東京大空襲の被災者を悼み、故初代林家三平の奥さんというより現林家正蔵の母という方がわかりやすいかもしれない、海老名香葉子さんの発願・寄贈とあり、「へえー、こんなところに建てれるんだ」と思い、家に帰ってからインターネットで検索した。そしたら総務省の〈一般戦災死没者の追悼施設〉というサイトに出会った。そこで全国にあるたくさんの追悼施設一覧のトップに全国を代表する施設として地元も地元、卒業した小学校の裏山にあたる手柄山にある掲載写真の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔の名を見つけた。久しくゆっくりと訪れていなかったので散歩がてらにじっくりと周囲を歩いた。
昭和 31 年 10 月に建立され、施設には傷みが来ている。平日の午前という時間で人影はなく、青空の下にひっそりとたたずんでいる風情であった。写真にある植樹の立札で、今上天皇が皇太子として建立 2年後に訪問されていることがわかる。天皇退位問題が議論されているときでなおさら平和を求め、全国行脚され、海外の戦跡にも足を展ばされている天皇を想った。戦後 70 年も過ぎ、日米トップ同士の広島、真珠湾相互訪問が実現し、一つの区切りとなった感があるが、あらためて人影のない慰霊塔の下で戦争を忘却の彼方に追いやらず、平和を今の今も求め続ける大切さを心から思った。つい先日高校生とリスクの話をする機会があり、若い彼らが何人か〈トランプリスク〉を挙げた。〈一つの中国〉をないがしろにしそうな新大統領の発言に、中国の軍関係者が戦争も辞さないというような反応を示したと新聞報道を目にした。どこの国にも極端な考えを持つ者はいるものだが、「戦争を政治の延長」とさせないように国民一人一人の踏ん張りが大事な時かもしれない。
撮影:宮崎隆介(JRMN 会員)