安政大地震津波碑

安政大地震津波碑[大阪市浪速区幸町 大正橋東詰]

 嘉永 7 年 11 月 5 日(1854 年)の安政大地震(安政南海地震)による津波で、安全と思い水上の小舟に避難していた大勢の民が死亡した教訓を後に伝えた碑。同年 6 月の伊賀上野地震、同年 11月 4 日の安政東海地震では大きな被害に遭わなかったが、連日で起きた安政南海地震では津波大被害に遭った。全国各地でも津波が発生し、大被害に遭っている。
 1707 年 10 月の大地震(宝永地震)でも同様に小舟に乗って避難していて津波で水死した人が多かったのにその経験が活かされなかった事を悔いた大坂の市民が、後の人のために碑を建てた。
 舟での避難は絶対しないこと、〈火の用心〉が肝心なことを伝え、記憶の風化を防ぐため碑を建立したこと、碑文が薄れてきたら時々は墨を入れ記憶を新たにするようにとの希望が刻まれている。
東日本大震災後の教訓にも活かしたい心根である。

撮影:宮崎 隆介(JRMN 会員)